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1月, 2010の投稿を表示しています

さてと 何か書かねば、、

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セメスターが始まり、来月の初めにギャラリーでの演奏も控えバタバタとして更新が滞りました。 こちらに来て約4カ月、少しずつ生活に慣れてきた感じもありますが、まだまだ気持ちには微塵の余裕もありません。 僕の人生の目的は2つ。師匠から習った龍笛の音をできるだけ広く伝え、その魂を人々に植え付けて行く事。そしてその中から自分自信を発見して行く事。という意味においてまだ生活に余裕はありません。なぜならその目的の数パーセントもまだ成せてないからです。 時間に追われてるときは、それはそれで目の前の事に必死なので、生活がある意味充実していますが、僕の場合それが続くと自分の中心を見失ってしまう事があるので時々立ち止まって自分の目的をできるだけ考えるようにしています。 先週こんなエッセイのテーマをもらいました。 “The internet has benefited society in many ways. Agree or Disagree.” まあTOEFLなんかの定番です、、、 こんなの当たり前でAGREEなんですが、思い切ってDISAGREEで書いてみようと思い僕なりに考えてみました。まず我々はどこへ向かうのか??みんな健康でありたいし、お金あったらそれはそれでよし。毎日楽しく暮らしたい。良い物食べて、良い音楽きいて、好い服買ったり、自分の好きな事して生活できたら文句なし。。しかしながら実際そうはいかない。 インターネットは世界を変えた。っとよく言われてます。会社で隣の人とメールするのも、日本とブラジルでメールするのも同じ。スカイプで顔見て誰とでも、何時でも、どこでも話できる。素晴らしい事だか、だからなんだ?ともいえない事もない。便利になっても日本は毎年三万人が自殺している。もちろんネットから死に至るケースも少なくない。 はてと僕は何を言いたい??ここまで書きながら思う、こうやって自分のくだらん考えを発信できるのもネットのおかげである。 一つだけかすかに分かっている事は、いくらインターネットが発達しても少なくとも人類が幸せに向かう事はない。もちろんハイチの地震などネットから寄付金を集める事ができたり、教育が行きとどいていない発展途上国で一台のPCが大活躍している事は間違いない。しかしながら、とある宗教的見地から考えると例えば地震は断層のずれ

雅楽コンサート終了

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AmericanMuseumでのコンサートが今日終わりました。                          演奏前                   演奏後 さて僕が今日感じた事を書きます。 まず今回はきちっとした舞台だったので出入りの練習をきちっと行いました。それにより舞台に入りながら全員が緊張感を高めて行くことができます。西洋音楽の場合は入り方までにはそれほどこだわらないと思いますが、雅楽は出入りの歩き方や人と人との間隔などもすごく大切です。だから演奏者が舞台に入り始めた時点で演奏が始まっています。きちっとした入り方ができればお客さんにもその緊張感が伝わりホール全体がぴりっと引き締まります。今日はまずこれが良かった点です。 演奏に関しては普段の80%の力は出せたんじゃないかと思います。しかしながら本番というのは恐ろしいのもので練習でなんなくできた所を間違えたりするものです。今日もそういう事態が発生いたしました、、、技術的な事はもちろん僕も含め、みんなまだまだで改善の余地はたくさんあります。例えば雅楽の難しいリズムですが、それをまだみんな頭で覚えようとしているのです。 僕が思うに雅楽は、何度も述べるように大切なのは呼吸のリズムです。そして一つ一つの音が伸びきってから次の音に変わる。これを体得していくと、それを理解している演奏者どうしではそう簡単にリズムは崩れません。緊張するとどうしても呼吸が浅くなるので息を止めてリズムを考えてしまいます。その結果時々頭が真っ白になりにっちもさっちもいかなくなり一拍が半拍のリズムになったりします。今日もそのような事が少し起こりました。だから呼吸を体で覚えていかなければならない。 次回への大きな課題です。 お客さんは250人くらいの大き過ぎず小さ過ぎずのホールに、三分の二くらい来て下さった感じでまあまあの入り具合だったと思います。へんな言い方ですが、お客さんの質によって演奏は変わります。もちろん先にも述べたようにまずは演奏者全員が緊張感を持つ事が大切ですが、、今日はほとんどの方が真剣に且つ、雅楽のコンサートは拍手のタイミングがすごく難しいのですが、それもきっちりとした所でして下さいました。 さて次に向けてやらなけれならない事はまずは個々人のレベルを上げていかなければなりません

邦楽コンサートへ

Asia Society で邦楽コンサート見てきました。 毎年邦楽ジャーナルの社長自らが日本の若手演奏家を選んでNYでパフォーマンスさせるんだそうです。今年は、琴、三味線、チャッパ、太鼓でした。 さすがでした。技術がとにかくすごい。 僕とほとんど同世代くらいの若者だったと思うのですが、どの演奏家もかなりステージ自体にも慣れてる感じで、演奏家としてだけではなくショーマンとしてもすぐれていたように感じます。演奏中はスクリーンにも音楽に合わせて映像を映し出しかなり迫力あるパフォーマンスでした。アメリカ人にもかなり好評だったように思います。 昨日のことですが、まだ頭のなかであのコンサートについて考えているという事は僕にとってかなりいい刺激になったんだろうと思います。すごく感動したし、強い印象をうけました。 が、しかし何か僕の心の中がすきっとしないというか、、、それが何なのか一日頭の片隅で考えてました。 なんとなくその原因は楽器の“素朴さ”を奏するという点においてだけ表現力が足りなかったのかなと感じます。もちろん僕の勝手な意見ですが、、 それにしてもすばらしいコンサートでした。

雅楽コンサート

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お知らせです。 場所  American Museum of Natural History  日時 January 17th  at 12PM in Kaufman Hall にて天理NY雅楽会の演奏があります。 曲目 管絃 越殿楽     陪臚 歌物 嘉辰 舞楽 右方抜頭 みなさまぜひお越しください。

コントラバス、ヴァイオリン、龍笛で演奏

今日はとある場所での新年会でした。約150名くらいの方々がいらっしゃったかと、、、 題名の通りですが、僕にとって初めてのコントラバスとヴァイオリンとの共演でした。もちろん彼らにとっても初めての試みでした。 僕の基本スタンスとしては雅楽器以外の楽器とは演奏しないというポリシーといいますか、なんというかそういうものがあります。なぜなら雅楽には独特のリズムがあり、そのリズムでしか出せない音、竹の音があるから他のジャンルの音楽と演奏すると音色が最大限に生かしきれないからです。 日本でも雅楽器とシンセサイザーや洋楽器をあわせて演奏している方はたくさんいますが、どれもそれは雅楽ではなく、雅楽器をただ使って演奏しているという程度に過ぎないのです。 だから今回も最初は乗り気ではなかったのですが、まずは今日一緒に共演したヴァイオリニストを僕がしっかりと信頼できた事と、とりあえず一回はやってみようというNYにいるからこそ生まれた日頃僕が持っていないヘンな好奇心からです。それと去年にも一度とある忘年会で“きよしこの夜”をヴァイオリンとした奏した時に多少反応が良かったためです。 しかしながら二人で最初あわせていてもどうもしっくりこなく、幾分あきらめかけになっていたのですが、コントラバス奏者のタカさんという方が一緒に加わる事になり、それがかなり二人の演奏に安定感を与える事になったので、結局三人で行う事になりました。 もちろん今日の演奏(朧月夜、さくらさくら、越殿楽、ジュピター)は僕のポリシーに反するものでしたが、しかし感じた大切な事は僕のポリシーも大切だがお客さんの意見も大切だという事です。たくさんの方々から良かったという声を聞くと、パフォーマンスは喜んでくれるお客さんがいて成り立つのだと改めて感じました。 僕が目指しているのはソロの吟遊詩人です。先日コンサートで奏した師匠作曲の「火、水、風」は龍笛という楽器のためだけの曲であり、僕もそういうのをクリエイトしたいと考えています。そこを目指すというのが僕の中心であり、あくまでもピンで演奏できるようになるという事を根本に置いています。そこの考えがぶれないように且つ柔軟に取り組んでいかなければならない。又そこを目指して毎日稽古するのと、日頃から五線譜の曲を練習するのとでは音色の質が変わってくるからです。どうしても五線譜の

初稽古

昨日はNY雅楽会の初稽古でした。いつもの練習場所が使えなかったのでNJの我がホームステー先宅で八人で練習しました。ホストマザーはハワイからのバケーションから帰るやいなやの練習だったのでさぞしんどかったと思います。しかも時差5時間、気温30度の違いですから。 好きこそものの上手なれという言葉がありますが、まさにここの人達は好きだから雅楽を練習し、そして楽しみながら上手になっていってます。ポイントは楽しもうと思って楽しむのではなく、心から楽しいと自然に思わないと雅楽は長続きしません。僕みたいな才能ない男が長く雅楽を続けてられるのは、ただ好きだから。音を見つめていくのがただ好きだからです。 僕もできる限りの力を出してお手伝いさせて頂き一緒に上達していきたいと思っています。とにかく子供心になり夢を持つ事が大切だと思います。三年後、五年後、十年後の自分を見据えると、今何をしなければならないかが見えてきます。 さて我々の次のコンサートは17日です。詳細が入り次第またお知らせいたします。

あけましておめでとうございます

皆様あけましておめでとうございます。 昨年もたくさんの方々の出会いを頂き、そして皆様からたくさんの事を勉強させていただき本当にありがとうございました。 昨年は龍笛の技術が飛躍的に進歩した年でした。 語学力は少しUP! まずはソロコンサートができる力が少しずつ付いてきたという事です。高校、大学とただがむしゃらに笛を練習してきましたが、大学卒業時の時は決して一人でお客さんの前でソロで一曲吹くという事などできませんでした。26歳初渡米の時、とあるマンハッタンのギャラリーでの30分少々のソロコンサートをさせて頂いたのを皮切りに少しずつできるようになってきました。未だに最初のコンサートを覚えています。緊張で震える指を必死で止めようとして演奏したため、コンサート終了後、指が痛くて動かなくなっていました。その時から比べると昨年の渡米前の四万十市でのコンサートや先日マンハッタンで行った約50分間のソロコンサートは最初は緊張したもののずいぶんと余裕があったように感じます。それは笛の技術も然りですが、自分の龍笛に自信が出てきたからだと思います。 僕は本質というものの存在を信じています。そしてそれを人間というものを含め龍笛の音の中に探しています。笛に関して言うと、師匠は龍笛には一つの吹き方しかなく、その吹き方ができてやっと本来の個々人の個性というものが龍笛に表れてくると言います。それには僕が思うには人間の癖、性分をとらなければなりません。真の部分を輝かせるために。そしてしっかりとした稽古を積まなければなりません。故に龍笛を追い求めるという事は人間の生き方を探していく事といっても過言ではない気がします。 僕はまだまだ欠点だらけの人間で高慢な部分もたくさん持っています。一生かかってもなかなかその部分を埋めていく事は難しいでしょう。最近気づいてきた事は、龍笛を吹き続けて行く中で大切な事は笛が上手になっていく事ではなく、しっかりとした常識的な人にならなければならないという事です。常識的というのは難しい定義ではありますが。  すぐれた芸術家には所謂変人と呼ばれる人が多いのは確かで、一般社会では生きて行く事が難しい方々も多くいます。しかし常識外れの作品を作るには常識外れの人間にならないと作れないという事はありません。僕は何はともあれ“表現”するという事は大切であるとこのブログで