雅楽コンサート リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 1月 10, 2010 お知らせです。 場所 American Museum of Natural History 日時 January 17th at 12PM in Kaufman Hall にて天理NY雅楽会の演奏があります。 曲目 管絃 越殿楽 陪臚 歌物 嘉辰 舞楽 右方抜頭 みなさまぜひお越しください。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
龍笛の吹き方~① 4月 04, 2009 「 龍笛を吹くということ 」ということについては以前に書きました。 今回は吹き方について書きます。 あくまでもここに綴るのは私が習った基本であって、一般における基本とは少し離れているかもしれませんが、その点は御了承下さい。 基本は大事とよく言われますが、要は何が基本かです。 吹き込み時は下から、あてがうように柔らかく吹きこむ 口に力が入っていると、息が入っていかないので、極力力を抜く(責、和とも) 音が出たら、音を音で押していく。この時伸びるイメージで(口が堅いと音が伸びない) 歌口をできるだけ前に出すことにより、口と歌口の距離が離れ、音に張りができ、音の密度も高くなる 自分の求めている音を知る(これは難し、、) この辺りが僕が習った”僕が信じる”基本です。 音楽ですので文章で伝えることはできませんが、笛を吹いている方々イメージの足しにしてください。 1~4までが無意識にできるようになると笛は9割9分完成だと思います。 自分の考えや、イメージを整理するために、時々吹き方についても書きたいと思います。 よろしくお願いいたします! 柿谷 貞洋 続きを読む
龍笛の事~責と和の出し方 5月 23, 2010 Twitter では少し書ききれなかったのでブログにしました。 今回は龍笛吹かない人には全く関係ない話です。ですので最初に御断りさせてもらいます。。。。 ここ二年程龍笛の“責(高音)”の音と“和(低音)”の音の出し方で気になっていた事があったのですが、それが今日少し分かったので書きたいと思います。 以前、相方から「和の音は責の口で吹くんや」と言われた事があります。その時は実は僕、反対だろって思ってました。 師匠はいつもとにかく口の力を抜いて責の音を出せといいます。和の音と言うのは口の力を抜いて出す事が出来ますが、責めになるとどうしても口に力が入ります。僕も人に教える時は必ず和の口、所謂口の力を抜いた状態で“責”を出すように教えます。 しかしこれは少し実は違ったのです。ただ口の力を抜いて“責”であれ“和”であれ音を出そうとすると音がどうしてもぼやける。簡単に言うと、口の力を抜いてぎりぎりまで口を閉め“責”を出す。そしてその口で“和”を出す。こうすると音の密度が高くなるから、竹に対し数倍の振動数を加えることができる。結果音も伸びるし、煤竹の音がでてくる。 こういう風に意識して今師匠の音を想像してみると、あの人の口はかなり力は抜けているがしっかりと閉まっている。もちろん師匠はそんな事は口にした事がないが、相方は見抜いていた。 遅ればせながら僕は今日それを体で持って理解した。 しかし実はこれは誰にも言うなと相方から言われていた事だが、、書いてしまった。。 続きを読む
龍笛の吹き方~➆ 7月 23, 2009 僕は今、いつまでこの“龍笛の吹き方”を書き続けようかと考えていますが、とりあえずは、僕の上達が止まるまでは書きたいと思っています。しかしある一定の所まで来たら書籍にしたいとも考えています。 さて今月は8年ぶりくらいになると思いますが、笛を替えました。左が以前の笛で、右側が新しい笛ですが、右側は見ての通り、以前のに比べ煤のかかり具合もあまりよくなく、値段も半額以下です。左が樺巻きに対し、右側は籐巻きです。 しかしながら良く鳴ります。まだ僕自信が笛に対し馴染んでいないものの、振動しやすい構造であるというか、軽い息で簡単に鳴ってくれます。 前々回にも書きましたが、良い笛というのは新管であっても、すぐに鳴る笛です。龍笛という楽器は、決して頭に鉢巻きをして吹く楽器でもなければ、汗をだらだら流して吹くものでもありません。もちろんこの季節は出ますが、、、。 さらっと、軽く、柔らかく、又“鋭く”吹く楽器です。 今日ビザが正式におりたという書類が届き、NYへの出発も9月7日に正式決定し、ある意味において八月は笛吹き柿谷としての、現在の完成形を作りたいと思っています。決してこれは、笛を追求するということにおいて守りに入るのではなく、もう一度基本に返り、今まで師匠から習った技術を自分のものにし“理解”をしていくということです。 前置きが長くなりました。 さて“龍笛の吹き方”の本題に入りますが、今回は二つの事を述べます。一つは【楽人としての立ち振る舞い】について、もう一つは【自分の音を出す】ということについてです。 昔、師匠に言われたことの一つに、「楽人は楽人としての立ち振る舞いがある。日頃の生活に中においても同じや。」というのがあります。 なぜこの言葉を思い出したのかというと、今月僕が師匠宅で練習していた時のことです。僕の相方は内弟子のような形で師匠宅で修行をしておりますが、その日はおそらく何かと忙しかったのでしょう。僕が練習している側を、足をバタバタさし、何か用事をこなしておりました。いつもは僕は彼を兄弟子のように慕い、笛の技術も僕より上なので色々彼から享受しておりましたが、何かその時は直観的に残念な事に、彼の“行(ぎょう)というものが進んでいないな”と感じました。通いの弟子がかなり偉そうな事 続きを読む
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