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6月, 2010の投稿を表示しています

EVENT

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Bang on a can marathon というイベントに行ってきた。 自分がどれだけ、古典とか、伝統とかという言葉に縛り付けられているかという事を認識させられ、見ているうちに僕のアートに対する枠が段々と取り外されていく感じがした。 例えばあるピアニストは叫びながら、ピアノの上や側面をたたいたり、ときどき鍵盤に乗ってお尻で弾いたり、、おいおい、、でもこれが大反響。 感じたのはやっぱり総合力。技術はもちろんですがどうやってその自分の技術を世間にプロデュースしていくか。 巧い人はNYにはいくらでもいる。地下鉄で汚い服を着て演奏してる人だってときどきめちゃめちゃ上手な人もいる。結局表に出る人と、埋もれる人は自分をどれだけ巧みに売り込み、強いコネクションを作れるかだ。 特に僕なんかなんのバックグラウンドもないし、そして言語のハンデがある。 もっと“したたか”にいかなければ。

メトロポリタン BIG BAMBU

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メトロポリタンミュージアム に竹のアート展を友人と見に行ってきました。 とりあえず説明するより写真の方が早いので張っつけます。 屋上からの眺め。 まだ竹の上で数人の職人さんが作り続けています。 どっからこの竹集めて来たんだろう。。ものすごい量です。 行きたい方、ぜひお靴を履いて。。サンダルでは登らせてくれません。 その後はセントラルパークでLUNCH。 久しぶりにのんびりとした感じの一日でした。

小池龍之介という人

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iTunesのpodcastに「ラジオ版学問のススメ」というのがあり僕は最近学校の行き帰りなどに欠かさず聞いている。今回は月読寺の小池龍之介さんというお坊さんだった。なんとも驚いたのが1978年生まれ、にしてあの落ち着いた話し方。 今回は氏の著書「 考えない練習 」についての話だった。簡単に言うと考えずに五感を使おうというものだ。考えすぎる部分を切り離すことにより、よりクリアーな思考が持てるという事だ。 一つの事に集中する。考えないために一つの事に集中して考える。 彼によると普段の我々の頭は自発的に考えているのではなく、考えさせられているらしい。だから今行っている事に対し意識を持って取り組みそれに集中する。食べる時は食べる事に集中。読む時は読む事に集中。聞く時は聞く。話す時は話す。 僕は人に比べてという事ではなく、自分で自分は煩悩が多い人間であると思う。とにかくいらない事をだらだらと考える癖がある。今回この話を聞いて改めてこの事を自覚した。 もう一つ今回この話を聞いて感じたのは、自分を変えるのは環境ではなく自分で変えるのだという事。しかも普通の生活の中で意識次第で十分に変える事が出来る。 一つ聞いてて、へぇーと思った箇所がある。氏が「私には信仰心はないんです。」と言ったところだ。氏は仏教を宗教として捉えているのではなく、仏道として、所謂、僕の解釈では、楽しく生きるためにごちゃごちゃいらん事を考えるのではなく、考えなくてもいい事をやめ瞑想などはそのための修行だということだ。 これについては今の僕にはよくわからない。 とりあえず、僕は悪い頭でごちゃごちゃと考える癖がある、なので今日からもう少しシンプルに生きてみようと思う。 日本に帰ったら一度会ってみたい方だ。

何か引っかかる作品

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一見よく理解できない絵がNYにはありふれている。 僕にとってはこれもそんな絵の中の一つだったはずだが何か気になったので、近くにあったパンフを読んでみた。 英文の意味がいまいちよくわからなったが、Order, Harmony, Awe,  Unknown power, mysterious, Universe, Planet, Cosmoがキーワードじゃないかと思う。 なんとなく納得。 芸術を人に提供するにあたって大きな感動を与える事ができるのがいいに越したことはない。が、何かその人の心に引っ掛かるものを与えるだけでも十分な気がする。 それがたとえ心地の良いものではなくても。(この絵の事ではなく) まずはそんな龍笛を吹きたい。

The Cove

友人に借りて観た。 問題は色々あろうが基本的に,人それぞれ又国によって物事に対する感性と価値観が違うからなんとも評価のしようがない。 僕個人的には、日本でも上映してもらいたいと思うが、日本人においても感想は異なるだろう。作者の思いが必ず作品には入るので一方的な見方といえばそれはどの作品においても当り前だ。 ただ注意しなければならないのは感情的に観ては意味がないということだ。例えばこの映画ではイルカが入江に追い込まれ漁師により殺され、その辺りの海一面が血の色に染まる映像が流されるが、そこをただの感情で観てしまうとかわいそうな感じもするが、生き物という点から考えると他の動植物はどうなる?となる。友人はあれはリメークだろうと言っていたが実際は知らない、、 作者は実際は動物愛護よりも水銀が子供や妊婦に及ぼす危険を知ってもらいたいと訴えているようだが、それだったら他の国々でもたくさんの使ってはならない薬品類がたくさんの物に使われているはずだから、他の国にも目をむけなければならないはずだ。水銀の問題は僕はよく分からないが、ただ問題が起こる所には、私腹をこやす人がいるのではないかと察する。 ネット上でもたくさんの議論がくりひろげられているが、最初に述べたように動物愛護の問題から考えると、動植物に対する考え方は人種や宗教、地域によって違うからなんとも複雑な問題だと思う。それとともに何か監督の政治的な意図、ただイルカ漁に対するだけではない何かがあるのかもしれない、、が、僕にはよくわからない、、 日本では上映が中止になったみたいだが、僕個人的には上映してもらいたいですね。

同性愛

ブログのバックの色を思いきって明るくした。PCに関してはど素人がやってる作業だから全体の作り方としてかなり素人くさいのはお許しあれ。しかし気持ちが少し明るくなりそうなかんじだ。 さて本題。 アメリカではこれは大きな議論のテーマであり、エッセイのテーマとしてもよく取り上げられる。そして今まさに明日の締め切りに向かってパソコンに向かっている。 お題は同性愛者が養子を貰えるか否か? なんともなんとも僕にとって苦手なテーマだ。なにせそういう友達とあまり交流があるわけではないので、ただ単に慣れていないというか僕のような、ただの田舎坊主には普通にそれは変だと思ってしまうからだ。 東洋理論を持ちだし、世界は陰と陽からできていて、、、、などと語りだすと酒でものみながらやらないと書けなくなる。。。 あ、今禁酒中だった、、 バカな事を言ってる場合じゃないが先程なんとか書き終わった。結論は否だ。 まず一つの理由としては赤ちゃんはもろちろんだが、その状況を選べないからだ。 江原さんなんかが言う、「子供はみな自分の状況を選んで生まれてくるんだ、」なんかはひとまず横においといて。 やっぱり精子や卵子だけ誰かに提供して子供だけ貰うというのは、何かどうも違う感じがするが、エッセイでは徹底的に理論的になぜ駄目かを書かないと残念ながら点数は貰えない、、 もうひとつの理由としては男は男、女は女の人にしかできない子供に対する役割というか“情の与え方”というものがあると思う。 では片親と、同性愛者に育てられるのはどうか?となった場合だが、僕は片親の方がいいと思う。理由はあきらめがつくからだ。きちっとした理由が作れる。例えば別れたとか、亡くなったとかなにせこれは普通であるが、両親とも男であったり女であったりするとどうもこれは・・・・・・・・・。すいません、、なんか適当な言葉が見つからなかったので。 よくわからない事を書いてしまったが、とりあえず答えがない問題だ。決して僕は理系の頭ではないが答えの出し方が全く分からない問題はとっつきにくい。 しかしこれはすごく大切な社会問題だ。

電話での話

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昨晩久しぶりに、日本の相方と長電話をした。決まって内容は笛の話。 僕は今の師匠に18歳の時から習い始めて、今のように約一年近く習わなかったという時はない。だから今はひたすら道をはずさないように自分で音を探すしかない。 相方は今師匠宅で修行中だ。雅楽に関してはすべてにおいて僕より一枚上だから、そういう意味において僕は彼を信頼している。 昨日はどうやって自分だけで音を探していくかという話だった。一つは自分の感性を信じるという事。これはどういう意味かというと、自分で吹いてて少しでも“違う”と感じるとそれは違っているという事だ。だから少しバックして、しきり直さなければならない。 きちっとした道に乗ると音は自然に動き出す。自然な吹き方というのは無理が生じず、そして答えは針の一点にしかない。しかしその針を通す息と言うのは実に柔らかく強いものであり、所謂雨垂れが岩をも崩していくイメージだ。 柔らかい水が段々と岩をも突き通していくという事が、本来の“練習”をする意味だと僕は昨日捉えた。 答えは一つの場所にしかない。その大きな岩が水滴によって砕ける部分は針の先の面積一か所のみである。 それぐらい龍笛を極めていくという事は困難である。真っ暗闇の中を体の全細胞を働かし感じながら進まないといつまでたっても辿りつけない。 しかしその道に入る事ができそうな瞬間がある。例えそれが勘違いであったとしても、それは“気付いていっている”という事であり、その勘違いに気付いた時が上達している時だ。その感情というのを僕は大切にしている。その発見と勘違いの感覚を持ちながら進んでいくところに笛と共に生きてゆくおもしろみがある。

次へ向けて

 なんとなく思い感じの毎日が続く。原因が分かっていない事はないが思うように体と心が言う事を聞かない。。。 まぁこんな時もあるだろうと思いながら、、ふと思いついた。僕には座右の銘がない。 ネットでなんぬきなしにこんな言葉を見つけた。 何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く。 高橋尚子/恩師の中沢正仁からの言葉 まだ座右の銘を決めたわけではないが、なんとなく今の僕にしくっときた。 しなければならない事は分かってるはずだが、ときどきとてつもない不安に襲われ眠れなくなる、、それでも笛吹きの自分がそんな自分を支えている。 さて秋にNYで三回目のソロコンサートをする事に決めた。 詳細はまだ決めてないが、今回は少し新しい事にチャレンジしたいと思っている。