同性愛

ブログのバックの色を思いきって明るくした。PCに関してはど素人がやってる作業だから全体の作り方としてかなり素人くさいのはお許しあれ。しかし気持ちが少し明るくなりそうなかんじだ。


さて本題。


アメリカではこれは大きな議論のテーマであり、エッセイのテーマとしてもよく取り上げられる。そして今まさに明日の締め切りに向かってパソコンに向かっている。

お題は同性愛者が養子を貰えるか否か?

なんともなんとも僕にとって苦手なテーマだ。なにせそういう友達とあまり交流があるわけではないので、ただ単に慣れていないというか僕のような、ただの田舎坊主には普通にそれは変だと思ってしまうからだ。

東洋理論を持ちだし、世界は陰と陽からできていて、、、、などと語りだすと酒でものみながらやらないと書けなくなる。。。

あ、今禁酒中だった、、

バカな事を言ってる場合じゃないが先程なんとか書き終わった。結論は否だ。

まず一つの理由としては赤ちゃんはもろちろんだが、その状況を選べないからだ。 江原さんなんかが言う、「子供はみな自分の状況を選んで生まれてくるんだ、」なんかはひとまず横においといて。

やっぱり精子や卵子だけ誰かに提供して子供だけ貰うというのは、何かどうも違う感じがするが、エッセイでは徹底的に理論的になぜ駄目かを書かないと残念ながら点数は貰えない、、

もうひとつの理由としては男は男、女は女の人にしかできない子供に対する役割というか“情の与え方”というものがあると思う。

では片親と、同性愛者に育てられるのはどうか?となった場合だが、僕は片親の方がいいと思う。理由はあきらめがつくからだ。きちっとした理由が作れる。例えば別れたとか、亡くなったとかなにせこれは普通であるが、両親とも男であったり女であったりするとどうもこれは・・・・・・・・・。すいません、、なんか適当な言葉が見つからなかったので。

よくわからない事を書いてしまったが、とりあえず答えがない問題だ。決して僕は理系の頭ではないが答えの出し方が全く分からない問題はとっつきにくい。

しかしこれはすごく大切な社会問題だ。

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