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司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の中の文章より~。(昔ノートに写していた文章なので、句読点などの場所が違う場合があり。) 「藤兵衛、人間はなんのためにいきちょるか知っちょるか。」 と竜馬は膳ごしに言った。 「事をなすためじゃ。ただし、事をなすにあたっては、人の真似をしちゃいかん」 世の既成概念をやぶる、というのが真の仕事というものである、と竜馬はいう。~ 「人の一生というのは、たかが50年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算に入れてはいけない」 渡米へ向け荷物を整理している時に、数年前の読書ノートを見ていたら、僕はこんな文章を写していた。 三年前アメリカへ3ヶ月間行き、自分がこの地にもう一度帰って来て、ここで龍笛を吹くと決意してから約二年8か月たった。 再渡米までには、ここまでのラインには少なくとも立ちたいという笛のレベルに、ある意味においては達する事が出来たと思う。語学においてはまだまだかなり程遠いものがあるが、それでもやれるだけの事はやった。 僕の渡米に対しては応援してくれる人達も多くいるが、反対派もいる。信念を持って進むと言えば、何かに対抗しているという意味合いがどうしても残る。だから僕は基本的に “そういう信念” は持っていない。あくまでも戦うのは他人ではなく、自分だからである。自分に勝てば自然と道は開け、歯車は必ず回ってくると信じている。 明治維新を起こした人たちは、とにかく夢があり勢いがあり強く生きた。 僕が目指すものは、少しこれとは異なるが、数年ぶりのこのノートの文章をみると些か興奮した。