大きく気づきました 力を抜くという事とは
最近は“呼吸”や“気”に関する本を時々読んでいます。なぜなら、龍笛を吹くという事は、大きくこの事に関わっているという事が体の底から分かってきて、できるだけ早く自分の“龍笛における呼吸法”というものを確立したいと思っているからです。もちろん焦って為せるものではなく、何年も何十年も、もしや死ぬまでかかるかもしれないという事は承知の上での思いであります。
昨日、今日で読んだ本:
僕は、これらの本で自分の呼吸法が少し間違っている方向に進んでいるという事に気付かされました。と申すのは、呼吸法というのは、誰に言わせても基本スタイルは、「吐く息を長く、そして自然に息が体に入ってくる」というものであると思うのですが、僕はあまりにもこれを故意的にやり過ぎていたのではないかと感じるのです。
僕の龍笛の生徒さんにも、この呼吸法を教えたりするのですが、ほとんどの人が息苦しいと言ってあまり効果がないようでした。僕の場合も最初は息苦しい感じだったんですが、長い間続ける内にそれは無くなってはきたものの、まだ自分では何か少し違うという感じがずっと抜けきれなかったんです。
それで今日これらの本を読んで気づいた事は、“気持ちよく”行うという事です。今まで僕が色々な方々に習った中でも、この事は何度も耳に入っていたにも関わらずなぜか、この事だけが僕には抜けており、そして自分の生徒さんにもこの事を伝えきれてなかったんです。今日座禅を組んでて、ただ気持ち良く、呼吸が浅かろうが深かろうが自分の呼吸を見つめて、“丁寧に”呼吸をしてみると段々深くなっていく感じが少し掴めたのです。意識的にではなく自然に。そして何より“気持ちいい”。
僕が龍笛のクラスで指導する時、やかましく言うのは「とにかく体全ての力を抜く」というものですが、これも皆さんから良く言われるのは「肩の力を抜こうとすると腕に力が入る、指の力を抜こうとすると口に力が入る……。」どこかの力を抜こうとすると、どこかに力が入る、などなど、、、
そこで、これは僕の明らかな指導力不足からくるものなのですが、実は力を抜くという事は“気持ち”であって体に意識をするということではないということだったんです。気持ちをリラックスすると、自然に体の力が抜けてくるのです。というよりもその順番でしか体の力はいつまで経っても抜けてこないのではないか。と気づいたのです。
今月のお稽古はちゃんとこの事伝えますね!!
しかし、雅楽において気持の力が抜けてくる、リラックスできてくるということはすごく時間のかかることです。まず“十分な”音が出てきたということを自分で認識し、自分の音はしっかり出てるんだという事を他人の口からも聞き、戦うのは他人とではなく、自分とであるということを悟り、それから段々と自分に自信が出てきて、少しづつ気持ちの力が抜けてきます。10年そこらでは無理なことです。大切な事は、焦らずに、ゆっくりと大きくなっていこうと思う気持ちを持つことです。
これはすごく求めがいのある領域です。龍笛に、他の分野でもそうであると思いますが、それに真剣に立ち向かえば人間が大きくなります。どうしてもある一定のレベルを越したいと思うと、必ず自分の“心”を変えないとこれ以上は無理だ、上達しないというラインに立ちます。僕は今そのラインで苦しんでます。自分の性格上の欠点が多く見えるからです。
しかし僕にはできると信じて進むしか他はありません。落ち着いて。
とあるおばあちゃんから頂いたものです。
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