心を正しい位置に置く
震災で崩れた今日的バベルの塔 文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司
興味深い記事を見つけたので取り上げてみました。
筆者はこの震災を機に、今まで所謂新刊本を通じて積み上げてきた“知”というものに疑問を持ち一体本来の“知”、“本質”というのは一体何なのかをこの文章を通じて考えようとしている。そして「心を正しい位置に置く」という事を力説しており、その一つの手段として、ドストエフスキーなどの古典を解説本なしにじっくりと読む事でその力がつくのだという。
僕が気になったのは「心を正しい位置に置く」という言葉だ。この震災を機に我々はもう一度我々の目的を考えなければならないというか、誰しもが程度の差はあれ考えていると思う。
最近「自分に何ができるのか。。」というこ言葉が巷にあふれ、人によっては震災地へ飛び込んでいった人もいると思うが、結局直接的には専門家にしかたいした事は出来ないんだろうとも思う。特に今回は原発もからんでるので。
さて笛吹きとして考えたい。僕は笛を通じて何かを探している。竹の中、若しくは音の中に世界を見ようとしていると言ってもいいかもしれない。ここでいう「心を正しい位置に置く」という事は、僕の理解から述べると自分の分野を真剣に努めるという事であると思う。お茶をする人は御椀の中に、弓をする人は弓の中に、字を書く人は筆の中に、野球をする人は球のなかに。大事な事は自分の中に本質があり、自分自信で見つけなければならない。どの分野、どの仕事にも “世界” があり、人はその中に自分というもの、又、自分と他人、自分と自然との関係を発見していくものだ。
抽象的だがそれを一人一人が意識して生きれば何かがみえてくるはずだ。
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