2011-02-07

日本語教師をしてて思ったこと

二月になって一度もブログを更新していない事にきづいた。ので何か書きます。

日本語教師をこちらで週2回させて頂いている。一つは小学生、もうひとつは大人のもう10年前後勉強している人達だ。

大人クラスのテキストの中で時々日本文化、剣道、柔道、茶道、弓道、その他、、、についてのセクションがでてくる。学生さんは、僕より年上ばかりで日本語は確かに僕の方が出来るかもしれないが、日本文化自体についてはかなり皆精通している。だから教えるというよりみんなで授業を作っていくような雰囲気だ。

先日、庭園についての話になった。日本の庭園と言うのはあくまでも’自然’と言うのがベースであると僕は捉えている。しかし西洋の庭と言うのは、センターを軸とし左右が対象になっているものが多い。庭の話をしている時、夢窓疎石(作庭家、禅僧)の話題になった。クラスの半分この人を知っていたのにはさすがに驚いた。夢窓疎石というお坊さんは庭作りを修行の一つとして捉え庭の中に宇宙観を組み込んだ人だ。雅楽の世界と混ぜてこういう話をしだすと僕も興奮して、先週は一時間以上熱弁してしまった。あまりにも熱弁してたので、PCの線を足で引っ掛けてPCを落としてしまった。。しかし無事に動いている。

さて何が言いたい 君は?書きながら何が言いたいかを考える癖は早くなんとかせねば。。まぁいっか英語の提出しなきゃならないエッセイじゃないし、、

僕がこういう類の話をしててみんなと考えてみたいのは、伝統を守るという事はどういう事なのかという事だ。宗教、伝統芸術、伝統芸能には何かしらの作法やしきたり、所謂ルールというものが存在する。何を着るとか、足は右から出すとか、etc. しかしながら大事なのは精神性、そしてその中にあるCOREというものをいつも追い求めなければならないと思っている。COREというものはその芸術の表面にあるのではない。あくまでも人間が何かを求め、何かを表現したいからその芸術作品ができた、だから一歩突っ込まないと本質はみえてこない。先人が何をその芸術を通して見ようとしたかが問題である。そのために作法が存在する。その原点を現代の視点から作法を通じ求めて行くという事が伝統を守るという事であり、又発展させていくという事であると思う。そこをふまえてクリエイティブな作品を生み出したいものだ。

今さらながら、ブログというのは便利なものだ。こんな僕でも言いたい事書き放題だ。いやいや真面目に考えてますよ。

さて、こんな事を学生さんと前回は話あった。いまさらながらが“~道”とつく日本の芸術というのは、西洋と比べるわけではないが、素晴らしい精神性を含んでいて底辺には同じ”何か”が流れている。この”何か”を世界にどんどん伝えてゆかねばならない。



 






0 件のコメント:

コメントを投稿