坂爪先生との出会い


チェルシーにあるippodoというギャラリで展示されていたこの作品がずっと気になっていたところに、日本から作者である坂爪先生が来られるというので、ぜひ話を聞きたいと思い駆けつけた。

この方の第一印象は柔らかい方というイメージだった。

どれだけの時間かあまり覚えていないが、時を忘れひたすら芸術について話しさせてもらった。

印象的だった言葉は、“具体というのは抽象から成り立っている”。

最近は抽象的なものに興味を示さない人が多くなってきたと先生は言う。抽象的な作品を見て考えようとしないから、具体というものが分からない。

僕が思うのはNYには所謂アートという名の下に分けの分からないない、作品と言っていいのか、展示物と言っていいのか、そんなものがたくさんある。

大事な事は作者が“分かっているか”である。根の部分、抽象の部分であると言ってもよいと思う。例えば上の作品を展示する時もルールというのが存在しているようだ。一見何もないように思うかもしれないが、そこにはDharmaというものが存在しているのである。

最初の一点により後の位置が決まってくるのだという。アートで生きていく人間はそれが見えなければならない。

僕の師匠も同じような事を龍笛の曲を作曲する時に言う。この音、このフレーズが来たら、次はこれしかありえないというフレーズがある。それが見えないとだめだと言う。

僕はまだその領域に入っていない、しかしながら、ときどきこの領域に入っている人というのは生まれた時から何か違うのではないかと感じる時がある、が、それを僕は“行”というものが存在しているという事実でもって否定している。

地球というわけのわからない抽象物から具体的な物を引っ張りだし、そこに“無の意思”を加えていく。それが何かを生み出していく事であると現時点で僕は理解した。

ルールというものは蜘の巣のように張り巡らされている。無限の法則があるが、その法則を破ると芸術は意味をなさなくなる。





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