Ravi Shankar Carnegie Hallにて
行ってきました。見てきました。彼を。
驚きの一言です。。。。!!!!!
一言でしたら感想にならないので何かを書かなければなりませんが、、、、
僕は昨年イシダイさんという方にこの方のCDを借りてこの人の存在を知りました。初めて聞いた時、この人は違うと直感的に思いました。
今回なぜ僕がこの人のコンサートに行けたかというと一週間程前に、たまたま夕食の時、ホストマザーと、マザーテレサ、ガンジーその他、所謂世界の聖人のような人の話をしていたのです。そして、僕がたまたまRavi Shankar の名前を出すと、ホストマザーが急に“そういえば彼が12月くらいに
NYに来るのよ“みたいな事を思い出して、ネットでチェックしたら、実は一週間後。。
彼女はもう何十年も前に彼の演奏を聴いた事があるらしく、その時も深く感動したらしい
です。何とか席も空いててさっそく予約。
そういう経緯で昨晩行ってきました。
なんと彼は90歳。
コンサートは、娘と他お弟子さんだと思いますが、数人で行ってました。
最初一人お弟子さんのような方が舞台に上がって来て大きな拍手、次に娘が入って
来てさらに大きな拍手。そして本人。観客総立ちの拍手。もちろん始まる前ですよ。
一瞬空気が変わったのが分かりました。なんとも言えないオーラでした。
これは僕の意見、僕が感じた事ですが、おそらく彼は一つの “境地” を掴んでいると思う。
そしてこれは、万人が至れる境地でありながら、数人しか至っていない境地である。
この境地に至っている人は世界にはいくらかいると思うが、彼の素晴らしい点は、それを
90歳という年齢にもかかわらず、今だにシタールという楽器を通じてその境地を
“表現” しているという点である。
最後のクライマックスの辺りでは、異次元の空間を作り出していた。僕のような凡人にも
それが素晴らしいと感じるのは、その境地の存在を体の深い部分で、まだ至ってないに
もかかわらず “知っている” からである。大歓声が起こるのは、多くの人間がその境地
を知っていながら入っていない世界であり、入りたいと心の深い部分では願っている世界
であるからであると思う。
普遍的な、万人に通じるものが素晴らしいものであると僕は思う。
さて、僕の龍笛の音をあの彼が座っている場所から発信することができるだろうか?
もし僕がその世界に入り込む事ができれば。もし僕が師匠の真意を掴む事ができれば。
いや、“もし” ではない。
必ず辿り着かなければならない。
そこから僕の龍笛が始まる。
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