龍笛の吹き方~➆







僕は今、いつまでこの“龍笛の吹き方”を書き続けようかと考えていますが、とりあえずは、僕の上達が止まるまでは書きたいと思っています。しかしある一定の所まで来たら書籍にしたいとも考えています。

さて今月は8年ぶりくらいになると思いますが、笛を替えました。左が以前の笛で、右側が新しい笛ですが、右側は見ての通り、以前のに比べ煤のかかり具合もあまりよくなく、値段も半額以下です。左が樺巻きに対し、右側は籐巻きです。

しかしながら良く鳴ります。まだ僕自信が笛に対し馴染んでいないものの、振動しやすい構造であるというか、軽い息で簡単に鳴ってくれます。

前々回にも書きましたが、良い笛というのは新管であっても、すぐに鳴る笛です。龍笛という楽器は、決して頭に鉢巻きをして吹く楽器でもなければ、汗をだらだら流して吹くものでもありません。もちろんこの季節は出ますが、、、。

さらっと、軽く、柔らかく、又“鋭く”吹く楽器です。

今日ビザが正式におりたという書類が届き、NYへの出発も9月7日に正式決定し、ある意味において八月は笛吹き柿谷としての、現在の完成形を作りたいと思っています。決してこれは、笛を追求するということにおいて守りに入るのではなく、もう一度基本に返り、今まで師匠から習った技術を自分のものにし“理解”をしていくということです。

前置きが長くなりました。

さて“龍笛の吹き方”の本題に入りますが、今回は二つの事を述べます。一つは【楽人としての立ち振る舞い】について、もう一つは【自分の音を出す】ということについてです。


昔、師匠に言われたことの一つに、「楽人は楽人としての立ち振る舞いがある。日頃の生活に中においても同じや。」というのがあります。

なぜこの言葉を思い出したのかというと、今月僕が師匠宅で練習していた時のことです。僕の相方は内弟子のような形で師匠宅で修行をしておりますが、その日はおそらく何かと忙しかったのでしょう。僕が練習している側を、足をバタバタさし、何か用事をこなしておりました。いつもは僕は彼を兄弟子のように慕い、笛の技術も僕より上なので色々彼から享受しておりましたが、何かその時は直観的に残念な事に、彼の“行(ぎょう)というものが進んでいないな”と感じました。通いの弟子がかなり偉そうな事を述べているのは百も承知でありますが、あまりにも自分中心の世界で行動しているのが、修行足らずの僕にも分かりました。

「楽人としての…」となると、まだ僕にはよく分かりませんが、いずれにしてもドタバタはよくないでしょう、、

歩き方とか、座り方とか、食べ方、箸の持ち方、話し方‥‥‥足を組まない、手を組まない。すべての日頃の生活の姿勢が、心の持ち様が音色には現れます。僕はよく足も組むし、手も組みます、、直します…

24時間意識しないとできることではありませんが、肩の力を抜いて少しづつ実行していかなければなりませんし、そういう意味においては僕も外弟子ながら、心の行(ぎょう)をしているつもりであります。なかなか僕の横柄な心はとれませんが、、、

ですから、雅楽はなにも、楽器を持って練習すればうまくなるというものではないのです。日頃の姿勢がすごく大切なのであり、そのような些細な行動や心遣いが笛に対する繊細な感性を育むのです。学生の時には考えもしなかったことです。。


もう一つは、仏教には“仏性”という言葉があり、これは誰でも仏の心を持っている、仏となれる可能性があるという意味だそうですが、この事を笛に置き換えて僕の感じるとこを述べてみます。

僕は最近、自分の生徒さんに指導する時一つ思う事があります。それは、その人にしか出せない音を出させてあげたいということです。笛を吹いていくということは、仏教において考えてみると、自分の心にある、すでに我々が持っている仏を見つけ、それを、自分の仏を、竹を通じて“表現”していくことだと僕は思うのです。ちなみに僕は仏教とは何の関係もありませんが、教えはすごく好きであります。

練習するという事は、小手先の技術を上げるためでもなければ、誰かに勝つためにやるわけでもない。大きい音を出すわけでもない。自分の“裸の心”を表現する技術を身に付けるのです。そのために、根の部分の練習である、ロングトーンや唱歌や呼吸法などがあります。

なので、女性だから、肺活量がないから、、など全く関係ないのです。きちっとした練習をすれば、自分の音が出て、必ず人を魅了することができるのです。

僕は、そのような技術を身につけさせる自信があります。

こんな話を雅楽を初めて間もない方などに話をすると、「そんな難しいこと、、、、」なんてよく言われますが、違うのです。最初から大きな思想と哲学をもって取り組めばいいのです。

大きな悟りに至ることは僕のような凡人にはなかなか難しい事ではあると思いますが、生活の些細な事にも注意力を働かして、集中して動くということは意識一つでできることです。

なんとか、なんとか、あと一か月でもう一段上に上がりたい。切に自分に望んでます。

すでにこの心が無心ではないのですが……

柿谷貞洋              





コメント

  1. 白竹の龍笛が、煤竹の龍笛よりよく響くと言うのは、以前どこかのブログで書いてありました。一度、吹いてみたいものですが、どれでもいいというわけには、いかないでしょうね。失礼ながら、この白竹の龍笛は、どこで購入されたのですか?私は、天理の神具店もよく利用しているのですが・・

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