先入観なしに視るという事~龍笛を選ぶ際の笛の良し悪しの点から考える
今晩からは師匠宅へ行きますが、今月は大阪でビザの取得も兼ねていくので4日間程の滞在となります。
今月は僕にとって、とてもすごくワクワクな月です。一昨日師匠から電話があって、僕の新しい龍笛が師匠宅に届いたの事で、数年ぶりに笛をチェンジします!!アメリカでの予備に購入したものでもあるのですが。 向こうでの不測の事態に備えて。。。
さて、ここで今回は雅楽を勉強するうえにおいて、先入観なしに事を視ていくという心の技術を、龍笛を選ぶ際の笛の良し悪しの点から考えてみたいと思います。
まず、この笛の良し悪しというのは、値段でもなければ、名のある職人が作ったということも全く関係ありません。簡単に言うと持った瞬間いい音が出て、いかに自分に合っているかが問題です。もちろん、どんな笛にも瞬時に自分を合わせるという技術を持つことが一番大切な事ではあるのですが。
雅楽の世界では、特に新管(作りたての楽器)において、「この笛は今は音が出ないけど、息を入れるにつれ段々良くなってくる」などの会話をよく耳にします。しかし僕の師匠は、最初の段階で音が出る出ないで笛を判断します。もちろん、正しい息の入れ方で息を入れ、年限とともに音色が変わってくるというのはいうまでもありませんが。そして師匠の選ぶ笛、というよりも作らせている笛は、ほとんどが細手で、軽い息で鳴る笛です。軽い息で鳴るから、力を入れる必要もなく楽に自然に音を出すことができます。
特に若い世代は息をつけるために、管、又は歌口の太い笛を吹くように勧められる事がありますが、これも師匠の理論に合わせて考えてみると全くもっておかしな話であります。そもそも龍笛は肺活量や、息の力をつけて吹くということには無縁の楽器でありますから。しかし雅楽の世界には、この息の力をつけるという伝統というか何と申しますか、そのような考え方が根強く残っています。“正しい音”のイメージをして練習すると、結果的に息の力はついてきますが、あくまでもこれは結果であり、そんな事はどうでもいいのです。大切な事は遠音をさす音です。
故に楽器というのは、まず軽い息で簡単に“鳴る”というのが、第一の楽器を選ぶ基準ではないのではないかと僕は思うのです。がんばって鳴らさないと音が出ない笛ではなく、自然に軽く鳴ってくれる笛がいいのです。
これには反対派が多くいらっしゃるかとお察し致します。。。
元々の音が、たとえ軽く音を出せたとしても“龍笛の音”がしないのは、これはまた別問題であります。付け加えておきます。
笛に対する考え方が、もし力(強い息を出すなど…)を使って吹くというのであれば、笛を選ぶ基準は変わってきますが、僕のこの意見は、あくまでも全身の力を抜き【息、風】というものに深く注意を向けて奏するという考え方においての、龍笛の楽器を選ぶ際の良し悪しであります。
今回僕が述べたい大切な点は、伝統と言われる分野における我々の一般的態度は、往往にして自分より長い年月それに携わってきた、又はその分野における所謂プロと呼ばれる人の言葉や立場をいとも簡単に信じてしまい、我々はそれらを疑いなしに聞き入れてしまうということです。芸術というのは白紙で見るからこそ意味があるのでありますが、先にも述べたように、例えば若い時分、特に男性諸君は、太くて息の力を必要とする笛を進められることがあります。もちろんそれに大概の方は流されてしまい、そのような笛を購入してしまうのですが、これではもう既に色眼鏡をかけて物事を見てしまっているのです。「あの偉い有名な人が言うのであるから間違いないであろう。」というような物の見方です。稽古中、≪技術を習得する上において指導を受ける時≫も然りであります。
お稽古事において、最初に先生の仰る事を素直に聞き入れるという事は、初期の上達においては欠かせないという事は言うまでもありませんが、もっと自分の心に忠実にその音を見つめなければなりません。僕も学生の時は色々な方に指導を受けましたが、常に、素直に聞き入れるという事と共に、疑いの眼も忘れずに持っていました。
音が自分の感性に、心に100パーセント調和しなければ、それはあなたの求めている音ではないのです。稽古中、自分の気持ちを注意深く見つめていれば、先入観なしに音に立ち向かう事ができます。その音が、吹き方が“理に適っているかいないか”が見えてきます。僕はその視点で笛を求めてきて今の師匠に落ち着いているのです。
以上、雅楽という1200年以上の歴史ある伝統芸術を習得する際の心の持ち方について、僕の思う所を、例えば龍笛を選ぶ際の良し悪しの点から考えてみました。
師匠は昔から、「笛を人が選ぶのではなくで、笛が人を選ぶんや」と言います。さて僕はどんな笛に選ばれるのだろうか??
明日が楽しみです^^
さてそろそろ荷物しなければ、、
笛の選定に関するコメント、大変興味深く読ませていただきました、私も全く同じ意見です。もし理想の笛があるとすればそれはきっとこんなものだろうと考えます、兎に角風さえ吹きさえすれば管自ずから響きだすのです、春のそよ風には優しく温かく響き、冬の木枯しには厳しく冷たく響き始めるのです、何も人が敢えて息を入れなくても管自体のインピーダンスとレスポンスが病的なまでに敏感な、一見、華奢な感じもするが、芯のしっかりした、音に(シナリ)のある笛が理想ではないでしょうか、どうしても抽象的な拙い表現しかできない自分にイライラします。
返信削除こんにちわ、龍の尻尾さん
返信削除なんとコメントしてよいやら僕は今、貴方の針の穴に糸を通していくような笛に他する表現のお答に、書き始めて大変困っております、、、音や笛に対するのイメージを言葉で表現するというのはすごく難しいことですね。
一つだけ僕が思う、自分の楽器に対する大切な事は、今の自分の楽器に愛着を持たないということです。自分の技術に応じて、龍笛は我々に寄ってきますから。
柿谷貞洋
柿谷先生のお言葉には凄味がありますね、自分の楽器に愛着を持たないとはさすがだと唸ってしまいました。誤解を怖れずに言いますと楽器なんてどうでもいいのだろうと思いますし、奏法にしましても改良できる要素は沢山あると思います
返信削除、結局、最終的に出てきた音が問題なのですから、どんな楽器、どんな奏法を使ってもより良い音が得られればそれが最善なのでしょう!奏法も、もっともっと発展改革される可能性はおおいにおりそうですね、またの機会に具体例を示してみたいと思います。