雅楽の“内なるもの”が世界に伝わるか。
今年の秋からの、僕のホームステイ先のホストから、コロンビア大学の学生が東京でコンサートをするというメールを2か月程前に聞いていたのですが、すっかり忘れていてWEBのニュースで思い出しました。
さて日本人以外に雅楽の心が理解できるか??
できます。
しかし、これには少々補則説明が必要です。
と申しますのは、もし我々の雅楽に対する意識が、音階に関しては、ただ洋音階440ヘルツより10ヘルツ下げた430ヘルツとして捉え、拍子に関しては多少伸び縮みをもたして演奏した、という程度であるならば、それは竹の楽器を使ってドレミファソラシドを吹いたというそれだけになってしまうからです。これでは理解したということにはなりません。
僕は雅楽の楽理にたいしては全く精通してませんので偉そうなことは申せませんが、雅楽について、全く知らない人に比べると多少知ってるかもしれません。雅楽というものは、僕は【息吹き(いぶき)】だと思っています。生気とも申しましょうか。
音大の学生さんや、外人さんなどは、雅楽譜に洋音階を書きたがりますが、これははっきりいってあまり意味のない事だと僕は思います。なぜなら大事なことは、【竹に風が当たって音が鳴った】。これが原点であり、ここを直接的に、遠回りをせずに目指すことに意義があると思うからであります。
僕はこのブログで自然という言葉をよく出しますが、これは山、川…などの事だけを指しているのではなく、【自ずから】という意味に僕は重点を置いているのです。【自ずから】―この言葉だけでは、解釈が何通りもあると思いますが、僕の解釈は自分の"内"を信じ、求め、自分の内から何かが生まれ出てくることが大切だと考えています。
故に、言いたいことは雅楽を奏するという事は日本の伝統音楽を奏するというよりも、これは人間の根源的な所に根差したものであり、自然への道を求める“道”であるのです。
そういう意味に於いて雅楽というのは日本人以外にも伝わらないわけがないのです。この点を、雅楽の髄の部分を僕はアメリカで伝えたいと思っています。息の音を通じて。
以上。
※余談ですがこのNHKの動画に移っている龍笛の女性の方の笛は僕が手配し送ったのですが、一か月でかなりの箇所が縦割りしました。乾燥でしょうね。。もちろん修理しましたよ。ということで僕も予備の笛を購入したいのですが、、学費、保険、渡航費……リコーのデジカメGX200も欲しい!!厳しいですね。
先日、市の文化財めぐりという行事に参加したのですが、すごく面白かったのでその事についても、いずれ書きます。
今日は佐田の沈下橋(上の写真)で少し吹いてきました。
書くのに時間かかりすぎた、、、疲れた。
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