おくりびと



先日、米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞した≪おくりびと≫の原作者青木新門さんに関する記事を読んで感じたことがあったので書きます。


 青木さんは早稲田大学を中退し、経営していた飲食店も潰してしまって、ある日、奥さんから「子供に飲ませる粉ミルクが買えない」といわれ、大ゲンカをした時に奥さんから投げられた新聞の求人欄がきっかけで納棺師になった。青木さんがこの仕事に就いたころ、まだ半分以上は自宅死だったそうで、今でいう湯灌や、白衣を着せたり、納棺するのは家族が行い、またこの時代富山という地方では、東京、大阪ならともかく、他人の死体を触っただけでも町に出られない時代でだっだ。


 そんなある日叔父から「お前は親族の恥だ、親戚の冠婚葬祭にも呼ばない絶交だ」とまで言われたそうだ。それ以来青木さんは、社会から白い眼で見られることにとても気になり次第にコソコソと会社に行っては、納棺を続けた。そして仕事を辞めようとしたある日、ある出来事が起こった。それは元恋人のお父さんの納棺をすることになったのである。いつもどおり湯灌を始めると、滴り落ちる汗を彼女が横から拭ってくれ、納棺が終わるまで側に付き添い、涙ぐんだ瞳からは少しの軽蔑や哀れみ、同情はなかった。





 その瞬間青木さんは、自分の全存在がありのまま認められ、納棺師という仕事を続けようと決意したらしい。そしてどうせやるならと、手袋や納棺時は白衣を着るなど、丁寧な仕事を心がけた。それでも依然と誰とも会わない日が続き、一番の友人に街で避けられた時は、もう仕事を辞めようとした。





 しかし運命のいたずらである。叔母から、青木さんを「親戚の恥だ」と罵倒していた叔父が危篤だと連絡が入った。母親からも連絡が入り、泣くようにお見舞いをせがまれ仕方なく病院へ行くと叔父は酸素吸入器をつけていた。震える手を青木さんの元へ差し出す手は、眼尻から涙がこぼれ、以前罵倒した叔父とは別人であった。小さなかすれる声で『ありがとう』と言っていた。その後叔父は亡くなった。





 青木さんは言う。「亡くなる前の人はみんな穏やかで、自分は、すべてが輝いている世界へ行く人のお手伝いをするのだ」と。



 とにかく続ける、一つのことを続ける。信念があるにしろないにしろ。一つの事を続けるということは、それは、生きること自体、その人間そのものが芸術作品であるように感じる時がある。それが〝表現″であり、人の何かを動かすんだと思う。

そんな人間になりたいと素直におもう。
































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