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太極拳

昔からやってみたかった太極拳。 近くの集会所でやっていて、知人に誘われたので今月から始めてみました。といっても一週抜かしたのでまだ二回だけです。 まずは。。僕は基本的に体が硬いのでそこからスタートです。思ってたより体に柔軟性が求められます。気を体に流しながら一つ一つの動きを行いますが、体が堅いと決まったポーズがとれないためこれは何ともなりませぬ。これから毎日柔軟体操です^^ 太極拳の動きは全て丹田から始まるようです。中心が動きそれから、体の末に向かって動いていく。日々の生活ではまず末から、例えば物を取る時もいちいち体の中心に意識をして、それから手を動かす人なぞそうはいないと思います。足も然り。 体の細部に意識を持って動くというのはすごく大切だと改めて認識し直しています。ただ動いても全く意味がない。これは笛を吹く時もたぶん同じです。 さて、そもそもなぜ僕がこれを始めたか!?実は、、よからぬ企みを持ってまして。。雅楽の舞と太極拳を融合させて新しい舞なぞできないものかと。。 いかんいかん、そんなことよりまずは風呂上がりの柔軟体操

最近の出来事

早いものでもう二月の半ばです、、気付けば正月からブログを更新していませんでした。 先月の出来事といえば、祖母が逝ってしまいました。正月に会いに行った時はまだ辛うじて僕の事が分かっていたようで,病院のベットではかすかな声で「今晩はおいしいもの食べなさい、寒いから気をつけなさい」って僕達のことばかり気にしていました。どんなに体が動かなくなっても最後まで人の事ばかり気にしていたのがおばあちゃんという人間を表していたような気がします。 これで僕にとってのおじいちゃん、おばあちゃんはいなくなり,時代は動いてるんだなぁ改めて感じます。 さて葬儀は山口で、帰ってから次の日、大学の恩師から夕方突然携帯に電話が。 「明日、明後日名古屋と東京で東儀さんのコンサートがあって、東儀さん腰痛めたみたいで抜頭を代わりに舞ってくれないか?」 さてどこの東儀さんか?? どうも東儀秀樹さんのようだった。 突然も突然。電話があったのはコンサートの前日の夕方で僕は高知の隅っこの中村。 こっちとしてはなんとか予定が空いていたので、しかも僕の恩師からだったので断れずに受けてしまったのはいいもの、準備時間はその晩の夜しかなかった。しかも次の日は朝一の飛行機だったから朝の3時半には起きなければならなかった。この時ほどこの地理的条件を恨んだことがなかった。 名古屋のホールは3000人のホール。田舎の片隅で雅楽に関してはほぼ冬眠状態だったから、頭と体を舞人モードに切り替えるのははっきりいってかなりきつかった。行きの新幹線で東儀さんの抜頭をytubeで何度かチェックするが、眠さの方が強かった。 はっきりいってリハもボロボロ。。。足は上がらない、体もふらふら。。。 しかもしかも、本番で、抜頭は実は少なくとも20回以上は本番踏んでるが、バチを途中で投げてしまった!!!!! ひぇーって感じだったが客席に飛ばず良かった。 おそらく前代未聞。 まぁこれもお曖橋にしときましょう。。勝手に。 おわってすぐさま東京へ新幹線で移動。 ホテルであまりにも疲れたのでマッサージを呼んだ。これがまためちゃめちゃ気持ちよくて。少し復活  もちろんあっちの方じゃないですよ 。。。 二戦目はなんとか乗り越えた。 あわただしいというか、なんというかばたばたとした週だった。 色々と勉強出来た事もあり今後の活動に生か...

大きな理想に向かって

皆様、あけましておめでとうございます。 旧年中、真に皆様のお陰をもちまして無事に通らせて頂く事ができました。 本年も厳しく柿谷に対し、御指導して頂きたいと思います。どうぞよろしくおねがい致します。 昨晩、とある雑誌を見ていると天理大学の飯降学長と サグラダ・ファミリア 専任彫刻家の外尾悦郎氏の対談を見つけた。外尾氏については僕は面識はないが飯降学長はドイツのケルン大学で雅楽公演があった時に少々お話をさせて頂いた。飯降学長はハワイにいる親戚の柿谷は知っていたようなので話は早かった。さて、サグラダ・ファミリアというのは、建築家アントニオ・ガウディ―の設計によるもので2005年に世界遺産に登録された。建築が始まったのは1882年で、その当時バルセロナは産業革命の真最中で町は大きな繁栄を遂げていたそうだ。しかし、その反面貧富の格差は広がり、一部の人間の心は荒んでいったそうだ。その状況に憂いを感じた書店店主ジュゼップ・マリア・ボカベーリャが社会の最小単位である家族に重きを置く「聖ヨセフ帰依者協会」を設立し、その家族を大切にするという理想の象徴としてこの教会の建築を提案したのがサグラダ・ファミリアの建設に至ったようだ。 外尾氏によると、ガウディは常に言ってたそうです。 「まず初めに愛があり、次に技術が来るのだ。」 外尾氏は言います。「サグラダ・ファミリアの建築において、形の完成よりも大事なのは、それを作り上げていくことによって人類が成長すること。これが実は課題なのだ。」 この“人類が成長すること”。この言葉は僕にとって実はすごく普遍性を持っているようで持っていない印象を受けるのです。昨年の九月の終わりにインドに行ってたくさんの物乞いを見てきました。もう数時間で死ぬんじゃないかという道に倒れている人間をたくさん見ました。この人達にとって心の成長などという意識はないのです。ただ腹が減っていてお金が欲しい。おそらくこのような国はアフリカに行かずともアジアにもまだたくさんある。だからこの”成長すること”というのはすごく大切なことだけれどもすごく難しい言葉だと思うのです。 この対談ではその他、文化について、文明について、本物というものについて語られています。 飯降学長が最後にこのように締めておられます。 「私たちは、人々が心に希望の火をともし続け...

一年を振り返って

今年の全てが3.11に帰結されるのではないでしょうか。 私達の人間の生きる目的は?基本的でありながら抽象的な、こんな問いを今年は多くの人が発したのではないでしょうか。 僕個人的には、今年は一つの人生の区切りであった。26歳のときにアメリカに行って龍笛を吹きたいという思いからこの五年間は進んできた。他の事は何も考えずとにかく突っ走った。自分なりには一つの成果を成し遂げたと確信している。確信と言うと大げさになるかもしれないが、一つの結果は果たせたと思う。もちろんこれからが本番なのはわかっているし、この5年間というのはこれからの準備だからこれからの結果がこの五年間の意味であると思っている。 8月にNYを発ち、イギリス、オランダ、ベルギー、フランス、ドイツと天理大学雅楽部のヨーロッパ公演に龍笛、舞人として参加させてもらい、その後は一人で念願のインドに行ってきた。色んな人と話しし、色んな人の生き方を見てきた。特に大地震の後だったからどの国に行っても地震の事は聞かれ、その度に世界は広いようでせまいと何度感じたことか。 長々と書き綴るつもりはない。 いつもの決め台詞。来年も”背水の陣”で踏ん張る。 僕にしかできない事をやっていきたいと思う。 皆様よいお年を。

最近の生活

ブログ、早くも復活です。といいましても何かがあったわけではなくただ単にタイプしたくなったからです。 まことに早い一年でした。これから先はもっと早くなるのでしょう。 “悠々として急げ”(開口健) 帰国してから約二カ月発ち、雅楽の方はまだ大きな進展がありません。全くもって僕の力不足で仲間を一つにまとめる事ができません。僕自信も雅楽に対しもう一度気持ちを確認している段階です。 龍笛一本で15年近く突っ走ってきましたが、今はもう一度本当の意味で笛というものを解らなければならない時期にきています。どうしても大きな壁が前にあり実はそれが今越えられないのです。これを越えられなければ僕は笛というものを手放さなければならないかもしれません。それくらいの覚悟で臨まないと僕が笛を吹く意味はないと思っています。 しかしながら、今は皆さまのおかげで日々楽しく生活させて頂いてます。 進展があり次第随時御報告したいと思います。

少しブログお休みいたします

みなさまご無沙汰しています。 日本に帰って来て今は実家にいますが、あいかわらずうろちょろとしています。 突然ですが、少しの間ブログをお休み致します。長い間おつきあいありがとうございました。 と言いましても来月には復活するかもしれません。半年後になるかもしれません。一年後になるかもしれません。 では失礼いたします。

インド編終了

日本に帰ってきました。現在の居場所四万十市。 アメリカ、ヨーロッパ、アジアの数カ国行ってきましたがインドは全てが驚きの連続でした。若い一達にはぜひ行ってもらいたい国の一つです。 なにはともあれ無事に帰ってきて改めて日本の素晴らしさを今感じています。というかまず飯がうまい!! 今は次のプロジェクトに向けて準備中です。 みなさまこれからもどうぞよろしくお願い致します。