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最近

NYは秋に向かっています、というか今日は急に肌寒くなりました。 ご無沙汰してます。 ずいぶんとブログをさぼり、先程帰りのバスの中で何かを書こうと思い立ち今PCの前に座り書き始めたものの、さて何を書こうか。 実は最近僕の中でBIGな出来事があったんです。結果からというと、、吉ではなく凶でした、、、、、。もしかしたら人生を左右するかもしれない事だったんですが結果は凶。。でもなぜかいうほど落ち込んでもないのでご安心あれ。って誰も心配しないでしょうけど。それが吉に変わる事を願って!! しかし実際は来週から、僕の本分ともいえるカレッジの勉強、次のコンサートの準備、日本語教師とやる事盛りだくさんですからもう次に向かって発進中です。 話は変わります。 次の僕のコンサートで実は初めて自分で曲を作ってみました。薄い脳みそと、薄い感性を必死に働かせ約一カ月程で18分程の曲を完成させました。龍笛のためだけの曲です。3,4年程前の自分には考えられない事をしたと自分でも驚いています。追い込まれたら人間できるものだ。。今回は雅楽というものには全くこだわらず、ただただ龍笛という竹の楽器と人間の体の動きで一つの作品をつくりあげようとしています。 もちろん龍笛の音を最大限に生かされなければなりません。それとともに人間の体の動きも最大限に生かせなければなりません。お互いが十分に特性を発揮できるように練り上げていきたいと思っています。 NYに来て約一年になります。今思うと大きく自分の龍笛に対する考え方がずいぶんと変わってきたなと思います。色んなものに触発されたい自分と触発されたくない自分がいて、客観的に自分を見るとなんとも滑稽な二人が存在している事にときどき気付きます。そして龍笛に対する考え方でここだけは揺らぐまいと思ってた事でさえ、回りの斬新な芸術に触発され揺らいできます。でも自分の考えを破壊して破壊して、その中から自然と出てくる考え方というか、思いが実はほんまもんだったりするんだろうなとも思います。 さて明日に備えシャワー浴びて寝ます。

ダンスフェスティバル

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先日ダウンタウンでダンスフェスティバルがあり友人と見に行ってきました。 とりあえず説明より写真貼っつけます。 個人的には日本人のダンスが好きだった。僕が日本人だからかもしれないが、動きが繊細に感じた。 それにしてもダンスというのは人間というものの表現の極地であるように思った。

Gagaku ryuteki concert with modern dance

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Ryuteki(dragon flute) concert with modern dance Wednesday,November10 2010 8:30PM 43A West 13th Street,NYC  Tenri Cultural Institute  http://www.tenri.org/ Program Gagaku       Banshikicho   Etenraku     Saibara          Koromogae Gigaku     Gyodo     Taikofu     Suiko           Kong o rikishi     Konron     Baramon     Gojyo     Gok o     Kyokushi Five Elements Composed by Sadahiro Kakitani    Choreography & dancer by Yuki Nishiyama Edit by  Yoshitaka Mori        Gagaku music has a long history, traveling east along the Silk Road until it was introduced into Japan from China over 1,400 years ago. Gagaku incorporates in its theoretical structure both the Taoist theory of yin-yang and ideas from Mahayana ...

日野原 重明先生の講演会

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Twitterを再開し、ブログのペースが一段と遅くなってきましたが、自分の軌跡をしっかりと残したいと思います。 数週間前に、NYの高知県人会の方から日野原先生の講演の連絡を頂き昨晩日米合同教会へ聞きに行きました。 題目は“生き方の選択”水平の生き方と垂直の生き方というものでした。 99歳という先生は時折ジョークを交えながら、又昨今の社会情勢などにも鋭いメスをいれながらお話をされました。僕が印象に残った話は、先生はいつも診断をする時、相手の気持ちを察しようと努めるそうです。相手の目線に立つという事だと思います。僕なんかが書くと、ただの品のいい言葉で終わってしまうのですが、先生の口からこれを聞くと本当にこの方はそうしてるんだなと言う感じというかオーラを受けました。 クリスチャンである先生は話の中で聖書を引用しながらも、それをクリスチャンではない人にも抵抗を与えることなく、実に柔らかく呑み込めるような口調で話をされていたように僕は感じました。 例えば人を許すという慈悲の心の話などは、西洋と東洋の考えを融和させ、髄の部分を引き出したような内容でありました。 自国の利益、自己の利益ばかりを追求する世の中にかすかな怒りを感じているという事も感じました。 当たり前の話を当たり前にお話しされるのですが実に説得力がある。 この方の通られた道が話にENERGYを吹きこんでいるのでしょう。

Twitter再開

Twitterを再開する事にしました。 http://twitter.com/tamome1 みなさま、またフォローよろしくお願い致します。 NYにきて来月で一年が経とうとしている。僕はこの一年何をやったんだろうと振り返るとまだまだ何も成し遂げられていない感じは拭えない。 ここで生きていると平凡な日はない。嬉しかったり、楽しかったり、ときどき傷ついたり(これはかなり頻繁)、、 それでもへこたれずに何とか前に進もうとしている自分をときどきは褒めてやりたいが、そんな性格ではない。。。。 それと報告です。11月の初めにソロコンサートをする事にしました。今回は現代ダンスとのコラボも企画しています。詳細が決まり正式にお伝えします。 言いたかった事はTwitter再開です。。

もりのさんが逝ってしまった

母が幼少の頃から、母の実家にはもりのさんというおばあさんが住んでいた。僕が赤ちゃんの頃から僕を本当の孫のように可愛がってくれた人だ。 つい先ほど亡くなったという知らせを日本から受けた。心の底から駆けつけたいと思う気持ちを今はおさえている。 僕はこのもりのさんが大好きだった。僕が会いに行くと、僕を見た瞬間から、いつも涙を流して拍手をして迎えてくれたものだ。三年程前に会った時は足が悪く、車いすに乗っててずいぶんと痛みがあったようだが、僕が会いに行って足をさすると治った!治った!と言って喜んでいた。もちろんぼくにはそんな魔法の力はないが、とにかく僕を愛してくれていた。そしてすごく賢く、存在感のある方だった。 最近は会った時はうれしくて泣く、別れる時も悲しくて泣くといった感じだった。そしてなぜだかもりのさんに会った後は僕自身も他の人にやさしくなれる感じがいつもしていた。 人は大切にされると、人を大切にできるんだと今になって思う。この人からこの事を学んだ。 血が全く繋がっていない僕や僕の家族をとにかく無償で心から愛してくれていた。渡米前に会った時は頭もしっかりしていて体も元気だったから、二度と会えないと思うと、、、、 なんとか御霊に喜んでもらえるような生き方をしたいと思う。

坂爪先生との出会い

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チェルシーにある ippodo というギャラリで展示されていたこの作品がずっと気になっていたところに、日本から作者である 坂爪先生 が来られるというので、ぜひ話を聞きたいと思い駆けつけた。 この方の第一印象は柔らかい方というイメージだった。 どれだけの時間かあまり覚えていないが、時を忘れひたすら芸術について話しさせてもらった。 印象的だった言葉は、“具体というのは抽象から成り立っている”。 最近は抽象的なものに興味を示さない人が多くなってきたと先生は言う。抽象的な作品を見て考えようとしないから、具体というものが分からない。 僕が思うのはNYには所謂アートという名の下に分けの分からないない、作品と言っていいのか、展示物と言っていいのか、そんなものがたくさんある。 大事な事は作者が“分かっているか”である。根の部分、抽象の部分であると言ってもよいと思う。例えば上の作品を展示する時もルールというのが存在しているようだ。一見何もないように思うかもしれないが、そこにはDharmaというものが存在しているのである。 最初の一点により後の位置が決まってくるのだという。アートで生きていく人間はそれが見えなければならない。 僕の師匠も同じような事を龍笛の曲を作曲する時に言う。この音、このフレーズが来たら、次はこれしかありえないというフレーズがある。それが見えないとだめだと言う。 僕はまだその領域に入っていない、しかしながら、ときどきこの領域に入っている人というのは生まれた時から何か違うのではないかと感じる時がある、が、それを僕は“行”というものが存在しているという事実でもって否定している。 地球というわけのわからない抽象物から具体的な物を引っ張りだし、そこに“無の意思”を加えていく。それが何かを生み出していく事であると現時点で僕は理解した。 ルールというものは蜘の巣のように張り巡らされている。無限の法則があるが、その法則を破ると芸術は意味をなさなくなる。